炎舞 |

先日、友人に誘われ山種美術館へ行った。
いったい何年ぶりだろう。。。
山種コレクションのメイン作家、速水御舟の妻が
母方の親戚にあたるため、子どもの頃から、高校ぐらいまでは、
母とともによく美術館を訪れた。
当時、兜町の山種証券ビルの中にあった美術館は、
2009年に広尾に新築、移転されていた。
友人も私もお目当ては、「炎舞」。
切手の絵柄になったこともあるので、ご存知の方も多いのでは。。。
闇に浮かび上がる炎。
炎は仏画を踏襲したものと思われるかたち。。。
そこに群がる蛾が、幻想的な美しさを醸し出している。
20年以上という歳月と絵の存在感が、
記憶の中で絵の大きさまで膨らませていたのか、
久しぶりに見る「炎舞」は、思ったよりも小さかった。
友人も同じだったらしい。
「こんなに小さかったかしら?」と。
そしてまた、
「前に立つと何か出てる!あったかい!」
と同意見。
もわもわ、ゆらゆらと揺らめくエネルギーを感じる。
母からは、美術書の類いには、おそらく書かれていないような
御舟の面白いエピソードを色々と聞いている。
モチベーションが上がらない限り、どんなに画商がお金を積んでも
絵を描かなかったらしいが、子どもたちが遊びに行くと、
馬がおしっこをしている絵などをさらさらと描いてくれたこと。。。
40歳で早世した御舟の葬儀に、横山大観が弔問に訪れた時、
大観が座った後の座布団に、ご利益にあずかろうと、
後に大成する画家たちが、次々と座ったなど。。。
速水御舟は、今村紫紅や小林古径らとともに、「目黒派」と呼ばれた。
目黒駅から日の丸自動車学校があるあたり、
かつては「長者丸」という地名だった場所に画家たちの家が点在し、
鬱蒼とした自然は、そのまま画題となっていたようだ。
今は都心だが、当時は郊外だったこの地を
「緑樹を以って市塵を隔て、地爽に気、清く」と、
祖先が街並を整え、開発しながら、日本美術や伝統芸能を育てたと聞き、
ゆったりと豊かに流れる時間を感じた。
そんな鷹揚な大正から昭和初期の目黒に、タイムスリップしてみたい。。。